Amy's This Week

2009.02

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2009.02.08

2/2-8, 2009 週報

スタッフBです。先週Aが書いたように、私の祖母が息を引き取りました。供養と思ってこの場を借りて祖母の事を振り返らせて下さい。

大正生まれの祖母は約50年間、幼稚園の先生を務めて来ました。家から数メートルしか離れていないところに幼稚園があり、私の卒園と共に祖母も70歳で引退しました。当時は色んな先生やご父兄の方々に『先生の孫』という事で可愛がって頂きました。休日も幼稚園の動物にご飯をあげたりして、幼い頃の記憶はほとんど祖母と一緒で、私はおばあちゃん子でした。

その約10年後、祖母はだんだん体の自由が利かなくなり、訪問介護をお願いするようになりました。お菓子やパンが大好きだったのでよく買い物を頼まれ、お小遣いを貰ったものです(笑)。その頃はまだ意識はしっかりしていたのですが、5年後くらいから行動や言動がおかしくなり始め、介護士さんももう手に負えず、家族も仕事があるから十分に面倒を見ることが出来ないという事で、近くの介護施設にお世話になる事になりました。入った頃はまだ私を認識する事も出来、遊びに行くと喜んでくれていましたが、だんだん認識出来る時が減っていき、ここ数年は家族の事も完全に判らなくなってしまいました。

その頃から私の足も完全に遠のきました。幼い頃、手を引っ張って色んな所に連れて行ってくれ、近所でも「先生」と呼ばれしっかりしていた祖母が弱っていく姿を見たくなかったのかもしれませんし、自分を認識して貰えない寂しさもあったと思います。最近では余りに変わってしまった姿に、もう私の祖母像は完全に崩れ、別人の様な気すらしていました。

ここ数年は少し体調を崩しては念のためにと入退院を繰り返していました。でも重体になる様な事もなく、なんだか不死身の様な気すらしていました(笑)。昨年末にも熱が下がらないので入院したと聞き、お見舞いに行くと大きないびきをかいて寝ていたので、安心していました。

そして先月の27日、帰宅すると「おばあちゃん退院したよ」と母から報告を受けて、呑気にテレビを見ていると、家の電話が鳴り、相手は父でした。「ばあちゃん心肺停止だって。もうダメかもしれない」と言われ、母と急行しました。その間根拠はないのにずっと「ばあちゃんは大丈夫」と頭の中で繰り返していました。病院に着いて中に入るともう精気のない祖母が心臓マッサージと人口呼吸を受けていました。結局心電図は一度も自力で反応する事はありませんでした。享年93歳。退院したその日に亡くなるというかなりの不意打ちではありましたが、重い病気にかかる事もなく、大往生でした。

その後は葬儀の準備や親戚への連絡などで慌ただしく過ぎ、あっという間に葬儀の日を迎えました。祖母の教え子が住職を務めるお寺での式で、当時問題児だった住職の話は面白く、我慢出来ずに吹き出してしまう人もいました(笑)。その後の精進落としの際も住職と幼稚園の元先生や受付をやってくれた卒園生でもある私の同級生たちとで時間を忘れて思い出話に花が咲き、遺影がそれを微笑みながら見守ってくれている…そんな明るい式となりました。

式を終え、色んな方に助けて頂いた事を感謝し、周りの人との繋がりがどれ大切か痛感しました。何かあった時にどれだけの人が手を差し伸べてくれるのか、どれだけお互い助けたいと思える人間関係を築けているのか等、色々考えさせられています。また、遺影の祖母は引退して旅行に行った時の嬉しそうな顔をしたもので、その遺影を見ると手を引いて貰っていた時を思い出し、もっと恩返しをしなければいけなかったと反省しています。

長くなってしまいましたが、ここまで私の身内話にお付き合い頂きありがとうございました。皆様も後悔無い様に周りの人を大切にして下さい。スタッフBでした。