Amy's This Week
2020.03
3/9-15,2020 あれから9年と、『Fukushima 50』
毎年この日を迎えると、そうあの日、2011年3月11日午後2時46分。自分がどこで何をしていたかを生々しく思い巡らせます。そして今年は関連映画を観たこともあり、いつも以上に感慨深く思っていたところに、ホロっとくるニュースがありました。宮城県名取市の津波が押し寄せた海岸(現震災メモリアル公園)で、同時刻に人々が祈りを捧げていたら、上空に見事な虹がかかったそうです。私がもし家族や友人を震災で亡くしていたら、この虹を見てまた泣いてしまったでしょう。
あまりに広範囲に渡る大きな震災で、どれほどの地域で、どれほどの人々が犠牲になったかは全く私の想像の範囲を超えていますが、それでも、大切な人を失った哀しみは決して年月と共に薄れることはない、と心底理解出来ます。また、津波の恐ろしさ以上に(以上も以下もないですが)計り知れない恐怖を感じたのが、福島第一原発の事故でした。
私にはもともと東北地方に親戚や知人はいませんでしたが、ある時から福島市の人とお友達になりました。時々東京に来てくれるのでお食事やおしゃべりを楽しんだり、一緒に旅行に行ったり、私から遊びに行ったこともあり、とても大切な友人だったので、原発事故のニュースでは本当にドキッと言うか、ゾワっとしたのを覚えています。
彼女の家はJR福島駅に近くなので津波の心配はしなかったのですが、その後すぐに原発事故でも全く問題ないと分かり一安心しました。そして、のちに彼女からその時の様子を詳しく聞いたのです。
原発周辺に居住していた人々はすぐに避難命令が出て、各地に分散して避難しました。ちょうど春休みだったので、多くの大学生や高校生のボランティアが避難した方々のお世話をしていましたが、やがて学校の始まりと共に学生ボランティアはいなくなり、友人は地元のボランティアとしてあづま総合体育館で避難する方々のお食事のお世話をするようになったのでした。(写真は避難所になる前の同体育館。避難所になった時は、二階スタンドまで避難の人々でいっぱいだったそうです)
友人がボランティアに参加した頃はすでに避難された皆様の避難生活も1ヶ月近くなっていて、雲や風の流れのせいで急遽汚染地域となった飯館市からの避難者も加わり、ここに約500名が避難生活をしていたそうです。それはもう、大変なことだったといいます。
そんな中、日々大量のパンばかりでご飯が食べたいと言う声が圧倒的に大きくなっていました。避難された人々は大半が農家なので、基本的に毎日お米という食生活の人々…ということが地元のボランティアにはよく理解出来たのです。そこでどうにかならないか奔走し、避難所の主食がおにぎりに代わりましたが、またしばらくすると、今度はおにぎりではなく、お茶碗によそられた普通のお米のご飯を食べたいという声が広がりました。
そこで閉鎖されていた同体育館に併設されたレストランが、避難された人々のために業務再開。支援物資を利用して、やがて夏に避難所が閉鎖となるまで毎日のお食事を用意するようになったのでした。さらに友人は、近隣の農家から格安に野菜を分けてもらい漬物作りに奮闘したそうで、最初にキュウリの漬物を出した時には、皆さんに大そう喜ばれてとても嬉しかったと言っていました。
こうした話を聞いて、避難された方々の希望に少しでも応えようと努力した、友人を含むボランティアの人々を立派!と思うし、実際友人にそう言いましたが、彼女は「当たり前よ〜。避難した人たちは大変だったんだもの〜」と。ですね。頭が下がります。
もちろん、それぞれの人がそれぞれの立場で出来ることをした時だったと思います。が、その頃東京では、福島県の地理関係を分かっていない人が(私もかつては「浜通り」「中通り」って、道路の名前だと思っていました!苦笑)、「福島」と聞くだけで食べない、行かない、関わらない…という愚かな行為が広がっており、私も友人がいなかったら、その愚かなグループに入っていたかもしれません。やはり知識は大切!友人には多くのことを教えてもらいとても感謝しています。
以前からかなり自分勝手で自己中心な知人がいて距離を置いていたところ、のちに東京は放射能が怖いからと福岡に引っ越した、と聞きました。やれやれ。人って様々ですね。でも災害とは常に「明日は我が身」な日本。私は福島の友人のように積極的な行動は出来ませんでしたが、前述したようにあまりに広範囲、多岐に渡る被害だったので、自分なりに考えて避難区域に残された動物保護に寄付したのを記憶しています。また、しばらくして福島県産の食品が再び出荷されるようになると、なるべく買うようにしていました。その頃のTOKIOも頑張って応援していましたよね。
コロナウィルス騒ぎの今とは原因が違うとはいえ、多くの人々が大変な思いをして日々過ごすというのは同じかもしれません。放射能もウィルスも、目に見えないからこそ怖い。だからこそ、冷静に、正しい情報を得ることが何よりも重要だと思います。
最近になって新型コロナウィルスの英語表記が出回りました。『COVID-19』=Corona Virus Disease 2019という意味なんですね。すでに昨年発見されていたそうだし、そもそもコロナウィルス自体はずっと前から存在していたとか。そのコロナウィルスの新種なので『-19』がついたのか。ふむふむ。
…と、つい眼前の問題に話が逸れてしまいましたが、福島のことでした。人類は過去多くの困難に直面し、乗り越えてきました。311から早9年経ち、今や放射能の恐怖など無かったかのような日常になっていますが、それは平和な証拠です(こと原発に関しては)。決して悪いことではないのでしょうが、今回映画を観て実は本当に東京を含む東日本が壊滅する危機に瀕していたと知り、恐怖を新たにし、今COVID-19に集中出来る状態はある意味感謝すべきこととも思え、そうすると家に篭るのもより真摯に受け止めることが出来る気がするのでした。
ということで、今週の一本は、『Fukushima 50』です。
評判は賛否両論のようです。が、それは単に「Based on a true story」と「This is a true story」の違いが理解出来ていないだけでしょう。この作品は冒頭に「これは事実に基づく物語です」と、前者であることを明記していました。「事実です」ではないのです。基づいているだけ。だから、それほどムキにならなくても良いのにな、って思います。
冒頭で「なるほど」と思ったので、映画として素直に入り込んで観ていたら、やはり何度も涙が出ました。「2時間泣きっぱなしだった」という糸井重里さんはだいぶディスられていますが、確かに少し大げさに感じますね(^^;
一番に、火野正平さんの役が良かったです。きっと地元の方なのでしょう。かなり年配で、大仰な福島訛りの地味なおじさんは、『ディープ・インパクト』(1998)のフィッシュ船長(ロバート・デュバルです!)を思い出させました。覚悟を決めて決死の決断をするのが一番の年配者…というのが良いじゃないですか。いや、本当に良かった。
原子力の放射能ということでは、リーアム・ニーソンとハリソン・フォードの『K-19』(2002)も思い出しました。あの時は何人もの若者が犠牲になってしまった、旧ソ連のやはり「Based on a true story」でした。キャスリン・ビグローが監督だったんですね!彼女の作品は本当にヒリヒリドキドキします。で、『K-19』での中で、放射能汚染区域へ入り作業をして戻ってきた若者たちの様子が脳裏に焼き付いていたので、火野正平さんが戻ってきて防護服のフードをとって顔を見せた時、心からホッとしたのでした。
当たり前なのかもしれないけれど、自衛隊もカッコ良かったし(隊長は『インデペンデンス・デイ』(1996)の大統領を思い出しました!)、終盤美味しいところで登場するアメリカ軍もカッコ良かった。いやもう、しびれちゃいましたよ!
…と、まるでフィクションを楽しむかのように感動してしまったのですが、鑑賞後冷静になればやはり「Based on a true story」です。そうか、東京も壊滅するところだったのか…。知らぬが仏でしたね。
まあいろいろあるでしょう。何事も表裏一体であるし、神様じゃないんだから完璧な人なんていません。リンカーン大統領はインディアンを大虐殺したのだし、チャップリンはロリコンで、未成年との性行為は当時強姦罪に問われるため結婚し、妻が大人になると離婚してまた未成年と結婚…と3回繰り返したそうです。
それとこれは違う?佐藤浩市さん扮する吉田所長が、そもそもは津波対策を不要と言っていた本人なのに…ということですが、その数ヶ月後に福島第一原発の所長となりこの事故に遭う。それは子供っぽい言い方ですが「バチが当たった」と思えるし、その結果この時は本当に決死の覚悟で私たちのために動いてくれたのです。だから9年経った今、我々はこうして映画を観ることが出来たのです。良いところを見てあげようじゃないですか。って私は思うのですが、甘いでしょうか?
とにかく良い作品だと思いますよ。日本人なら素直に観た方が良いです。この作品の使命は、「あの日を忘れない」ということなのですから。そしてこれから9年経ったら『COVID-19』なんて映画が出来て、「あの時は大変だったね」なんて思い出しながら、映画に感動出来ると良いですね。そう願いましょう!
p.s.
ところで、今アメリカではトイレットペーパー騒ぎが深刻です。アメリカでは国産ではないのかな?で、トイレットペーパーを略して皆『TP』と書くようになっていて…不謹慎ながら苦笑していますwww
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