Amy's This Week

2025.06

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2025.06.03

5/19-25, 2025 『どこ見る』展後半と、『ノスフェラトゥ』

そういえば『どこ見る』展はいつまでだっけ?と思って確認したら6/8までだったので、この週は慌てて国立西洋美術館を再訪してきました。4/21の『どこ見る』展週報の後半です。

二度目となると自分の観たいパートはしっかり把握しているので自分好みの作品探しが早いです。とはいえ、とにかくこの美術展は私好みの作品が多くて大変ww なので 後半では的を絞って大好きな動物たちを探します。こちら『マルクス・アウレリウス騎馬像、トラヤヌス記念柱、神殿の見える空想のローマ景観』by ユベール・ロベール。

これは面白い!画家自ら「空想の景観」とあるように、実際のローマではマルクス・アウレリウス騎馬像はカンピドリオ広場で、そこからトラヤヌス記念柱は見えません。浅草雷門の後ろに東京タワーが聳えているようなものw それにこの朽ちた神殿は何だろう。画家のローマへの愛とロマンが溢れた作品です。私は中央にある水飲み場の馬と手前の犬が好き!

トラヤヌス記念柱は、ぐるっと下からトラヤヌスのダキア征服の様子が彫られています。が、実際に下から見上げると柱が大き過ぎて全然上の方の彫刻が分からないんですよねww この作品では記念柱の彫刻までよく描かれています。ところで一般的にダキア(今のルーマニア)征服とよく言いますが、ローマは決して一方的な征服(例えば今のロシアがウクライナに進出しているような)に出たのではありません。基本的に戦って勝利してもその地の自治を尊重し共存するのがローマ方式。が、協定を破ったり裏切ったら絶対に許しません。ダキアは二度に渡ってローマを裏切ったので、トラヤヌスが「もう許さない!」と完全征服に出たのです。裏切ったら徹底的に潰すのがローマなんですよね。

ルーマニアという国名が「ローマの国」という意味なのはそのためで、トラヤヌスは裏切った国を徹底的に叩き、元々のダキア人を国外に追放してローマ人を入植させ完全なローマ植民地にしたので「ローマ人の国」という名前になったのです。そんなルーマニアという国名がおよそ2000年後の今も残っているのは古代ローマ好きとしてはとても嬉しいし、さらに興味深いと思ったのは実際にルーマニアに行ったら現地に『ダキア(ダシアと発音していました)』と名前が付いた小型の車がたくさん走っていたんです。ルーマニアの国産車メーカーだそう。ローマ時代の名残?!これには内心大興奮してしまいましたww

さてもう一つ同様な作品で『モンテ・カヴァッロの巨像と聖堂の見える空想のローマ景観』by ユベール・ロベール。こちらも空想の景観と題されているので現実的な配置ではないだろうと調べてみたら、巨像はクイリナーレの丘(モンテ・カヴァッロ)にあるもの。でも後ろの階段の上にいるライオンはカンピドリオの丘にあり、後景にある聖堂はバチカンのサン・ピエトロ聖堂ですよね。国会議事堂をバックにして銀座三越のライオン像があるみたいな?ww 面白いです。

そんなファンタジーな世界の中にもわんこいました。どちらの作品でも共通してどこか人間に「ご飯ちょうだい」と吠えているような感じで、少し切ないけれどこの時代っぽいです。てかこの時代ってそもそもいつ設定の絵なのかなw

これは『ソドムを去るロトとその家族』 by ヤーコブ・ヨルダーンス。(ルーベンスの模写)ルーベンスらしい華やかな色彩と大胆な構図に圧倒されますが、左の奥には神様の怒りの雷(?)や燃える地平が見え、そんな神様に燃え尽くされようとするソドムから「早くこっちへ」と逃げるよう天使が案内しています…ということですが、どこかソドムの方へ向かっているようにも見えてしまいますよね?ww

左下に共に逃げるわんこが見えて可愛い。この子もロトの家族なのか、それともどさくさに紛れて一緒に逃げようとしている野良の子なのか。ん、首輪をしているように見えるので、ロトの家族なのかもしれないですね。この後ロトの妻は振り向いて塩の柱になってしまうわけで、結局ロトじいさんはわんこと一緒に逃れたのかな。後ろの若い女性2人はロトの娘たち?なんか財宝を持ち出していますねw

これは『聖家族と聖フランチェスコ、聖アンナ、幼い洗礼者ヨハネ』 by ペーテル・パウル・ルーベンスと工房。ルーベンスと弟子たちとのコラボ作品です。

聖フランチェスコと幼いヨハネの間でキリストを見上げている子は、犬ではなく羊ですね。神は羊飼い、人は羊。キリストを見つめて「あなたに従います」という視線を向けている子羊です。ポール・マッカートニーの『メアリーの子羊』を思い出しました。キリストを抱いているマリア(メアリー)と子羊でまさにその通り。雪のように白い子羊はメアリーの行くところどこでもついて行くのです。可愛い曲だわ。

これは『聖ヒエロニムス』 by フランシスコ・デ・スルバラン。これほど服を着ているヒエロニムスはイメージが違いました。まだ荒野の修行に出る前の姿でしょうか。それでもそばに動物がいますね。ライオンのはずなのですが、ちょっとライオンには見えないなぁww

やはり聖ヒエロニムスといえばこのダ・ヴィンチ作品がすぐ頭に浮かびます。(バチカン美術館。どこ見る展にはありません)こちらは荒野の修行中の姿なのでこんなに老け、みすぼらしい姿になっているのです。砂漠で4年間修行したというヒエロニムスのそばにはお約束のライオンが横たわっています。これは荒野の修行中に出会ったライオンが足に棘が刺さっていて、それを取り除いてあげて以来ライオンがずっとそばにいたという逸話があるからです(羨ましいw)。

『聖ドミニクス』 by フランシスコ・デ・スルバラン。良いですねー大好き。スペインのカラヴァッジョという異名がある通り、カラヴァッジョっぽい明暗のくっきりさが魅力です。この左下にいるわんこは松明を咥えているそうです。ただの棒切れに見えますが、真っ暗に見えるバックをよく見れば聖ドミニクスの影がくっきり。これでわんこが咥える棒の見えない端に火が灯っていることが分かるそうです。なんか感動。よく見るとわんこの首輪がパンキッシュww 右端には聖人お約束の白い百合が浮かび上がり、作品全体の白と黒の対比に文字通り華を添えていますね。Vaundyの歌詞の通り「色で満ちたモノクロ」な作品だと思いました。

可愛い動物巡りはこの辺で。今回は二度目ならではの前回うまく撮れなかったところや見逃したところを見ていきたいと思います。そんなことをよく『リベンジ』という人がいますよね。決して批判する気はありませんが、わりと言葉の意味を深く考えてしまう私には苦手な言い方です。だってリベンジとは酷い扱いを受けた時の仕返し、報復の意味だから。スポーツの試合などで前回負けた相手に対してリベンジと言うのはその通りでも、この場合私は美術館になんの恨みもありませんww なので単なる『リトライ』です。

前回はこの三連画『三連祭壇画:キリスト磔刑』をくまなく観たかったのに左画面がボケていました。そこで左側にフォーカスしてのリトライ。

しっかり撮り直せましたよw おお〜よく見える!遠景の家々の前にいる人間や動物も見えます。馬に犬かな。幌馬車らしきものも見えて豊かな市民たちの生活が垣間見えるようです。たぶんこの男性はこの祭壇画の寄進者だと思うので、彼の住む村の様子かもしれませんね。

この美しい女性は、なんと『自画像』by マリー・ガブリエル・カペです。女性の画家しかも22歳時の作品だそうで、彼女の才能が満ち溢れています。18世紀当時フランスでは(たぶんどこでも)女性に公式の美術教育への参加は認められていなかったとか。つまり彼女は自己流で腕を磨いたのですね。凄い。

そうした作品のバックグラウンドを知ると、この緻密なレースの表現も豊かな才能以上に執念のような気迫を感じます。きっとたくさん悔しい思いをしたのでしょう。マリー、素晴らしいよ!!!

時代は20世紀初頭のスペインで、こんな美しい印象派を踏襲した作品がありました。『水飲み壺』by ホアキン・ソローリャ。離れて、もしくは目を細めて見ると、子供のブロンドヘアや女性のスカートが光に反射し揺れる様子が生き生きと浮かび上がり目を奪われます。

ですが近づいてスカートをよく見れば荒い筆の跡がくっきり。これでどうして離れて見た時の柔らかさが生まれるのでしょうか。これぞ印象派マジック。より近付いて、また画像を拡大して作品をくまなく見るのが好きな私も、こと印象派になると2メートルも3メートルも離れて見たいと思います。そしてまた近付いて大胆な筆遣いを確認し、再び離れる。こうして作品の前で行ったり来たりして鑑賞するのが楽しいです。

最後は『リトライ』の『キリストの捕縛』by ヒエロニムス・ボスです。やった❤️ 今度は綺麗に撮れましたw 『リベンジ』とは言いたくないのと同じく、妙に意味を考えてしまう私は以前どこかで書いたことがあると思いますが、ライヴに行くのに『参戦』と言うのも苦手です。だって戦いとは勝った負けたを争うこと。盛り上がったライヴではアーティストの勝ちということ?いいえ、ファンも全員優勝ですw まあオールスタンディングの最前線なら周囲の人たちとのせめぎ合いでまさに闘いとなることもあるかもしれませんがw それでも私は、オールスタンディングの最前線で周囲の同じファンたちと共に楽しく盛り上がれるライヴがいいなと思います。

同じように、「私もAmyさんに負けないように…」なんて言われるとギョッとします。え?私と何か勝負しているつもりだったのですか?と。やだ怖いw 『リベンジ』も『参戦』も『負けないように…』も、そう口にする人たちは何も深く考えて言っているわけではないのですよね。分かってはいても、言葉の意味をストレートに思い浮かべてしまう私には違和感満載なのですww 面倒な人間だな自分w

閑話休題。この『どこ見る』展ではまだまだめっちゃ良かった!!!!と言いたい作品がありました。でもキリが無いのでこの辺りでまとめますw サンディエゴ美術館と日本の国立西洋美術館(日本の宝です!)の所蔵品で時代別、地域別…とあらゆる画家の作品を列挙した展覧会は本当に見応えがありました。まさに「どこ見る?」というテーマ通り。私はこんな風に見ましたがあなたならどう見ますか?あと少し。6/8(日)までやっています。

 

そんな週の一本は、ジョニデの娘を観てきましたw 『ノスフェラトゥ』です。

そう、ただただリリー・ローズ・デップを観たかったんですw なのでどんな作品かとの前知識は全く無いまま、でもウィレム・デフォーも出ているので良い作品でしょ、なんて考えながら観に行きました。いやでも、最近のウィレム・デフォーはなかなか際どいというか危ないというか、かつての正統派なイメージからだいぶ逸脱いえ飛躍した役もこなすので分からないなw

と思っていたら、大丈夫。正統派でしたw もう名優ともなると演技の幅が広過ぎて、その人が出ているからというだけではどんな作品かをイメージすることが難しいですねw

でリリーですが…頑張っていました!!さすがジョニーの娘です。往々にして演技が未熟な若い女性は可愛く映ることを意識するのでは?と思ってしまいますが、リリーはこれっぽっちも可愛く映ろうなんて考えていませんでしたw やたら弱々しく、やたら艶かしく、そして強く。女性の主体性が認められなかった19世紀前半で、散々な苦悩の果てにそんな立場ならではの解決法で終わりを迎える女性を全身で演じていました。カエルの子はカエル。

ネタバレを避けて遠回しな言い方をしていますが、『ノスフェラトゥ』という単語を知っていれば『恐ろしくも美しいゴシック・ロマンス・ホラー』と謳われるこの作品が吸血鬼の話だと観る前に分かるんですね。1922年に最初の『吸血鬼ノスフェラトゥ』が、1979年にはそのまんまな『ノスフェラトゥ』が、公開されていたそうです。そのどれも知らなかった私は、エンドロールにブラム・ストーカーの名前を見て、「なーんだ」と思ったわけですw

吸血鬼系の作品は数多ありますが、私が好きなのはダントツ『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』(1994)。後にも先にもトム・クルーズを「美しい」と思った唯一の作品です。あとは『モールス』(2010)も大好き。純粋な幼い愛と絶望。切なく美しい作品でした。

でリリーの『ノスフェラトゥ』は…面白かったですよ。だいたいルーマニアの奥地…なんて言われただけでもうときめきますw ロマンたっぷり。ゴシック・ロマンスなんて照れくさいような世界を正面突破で見せてくれました。それにしてもリリーってめっちゃお母さん似ですね。普通女の子は父親に似るなんて言われますが、リリーはヴァネッサ・パラディにそっくり!内面がお父さんに似たのかな。だとしたら俳優としての今後が本当に楽しみです。

余談ですが、私が大好きな人の娘を応援するのはリリーで2人目。1人目はダコタ・ジョンソンでもうホントに大好きなドン・ジョンソンの娘です。ダコタは笑顔がお父さんにそっくりで、とにかくダコタが出るなら何でも観る!と思っていたのに、今年公開されたショーン・ペンとの共演でめっちゃ期待していた『ドライブ・イン・マンハッタン』をタイミングが合わず見逃しました泣。昨今のシアター事情は、邦画に押されて洋画は余程の大作でないと上映期間が短くて洋画ファンにはツラいです。

 

今年になってまだ一度も会えていなかった友人とようやく会えました。積もる話で盛り上がり、タイ料理に舌鼓。やっぱり私はアジア人だなーと思いました。好きなお料理は中華(西安)料理、タイ料理、インド料理、アメリカンにイタリアン。あ、アジアだけでもないかw