9/3-9, 2018 藤田嗣治展と『追想』

9月に入り、この夏突き刺さるように痛いほどだった厳しい暑さが、記憶に残っていたべったりと張り付く暑さにわずかに変わってきたと感じていました。そしてジョー・ペリーVIPアップグレードの受付を終了して一息ついた水曜日深夜。その3時間ほどのちに、北海道に震度7の地震速報がありました。北海道にはVIPクラブのメンバーもたくさんいるのでとても心配しましたが、どうやら皆様無事の様子でホッとしました。SNSはありがたいです。でも明日は我が身の日本。電池式の充電器も用意しておこうと思いました。 ということで改めまして、この度の台風20号に続き、北海道胆振東部地震の被害に遭われた皆様に心よりお見舞い申し上げます。また、犠牲になり命を失った皆様に、深く哀悼の意を捧げます。 そんな週末は、東京都美術館へ『藤田嗣治展』へ行ってきました。 このところずっと忙しかったので(あと1ヶ月以上続くけど!)、しばしの美術鑑賞はストレス解消にタイミング良く、また前知識がほとんど無い藤田嗣治だったので、新鮮な気持ちで楽しむことが出来ました。そして日本人ということで、作品を楽しむのみならず、一人の日本人の生き方として感慨深く受け止めることが出来ました。 今年は没後50年ということでの藤田嗣治展です。生まれは1886年。明治維新から18年。まだ日本は女性の選挙権も無く、日清戦争よりもずっと前。そんな時代に生まれ、美大へ進む以前から将来フランスへ行きたいとフランス語の勉強をしていたというのですから、西洋画への憧れ、フランスへの憧れはめちゃくちゃ強かったのでしょう。やがてフランスへ渡ると髪型をおかっぱに変え、目立つロイド眼鏡に耳にはピアス。明らかに人々に覚えてもらうための戦略に思えます。そしてパーティーに繰り出しては踊り明かし、フランス人たちとの交流を広め楽しみながら、いかにすれば日本人の描く絵画が認められるか模索していたようです。 やがてキャンバス地全面を白色で塗り、その地色を生かした作風を個性とします。するとそれはパリ芸術界で『乳白色』と呼ばれ、大絶賛されたのでした。 地色を生かしながら上に絵を描いていく手法は、私が伊藤若冲の白鶴で初めて見た手法でした。若冲は当時の襖紙の地色なのか、地色は薄茶色で、その色味を生かして、透明感のある美しい鶴を描いていました。そんな日本独自の手法を取り入れつつ、自分らしさを出すためか薄茶色を乳白色にしたようで、この色には当時の日本のシッカロール(ベビーパウダー)が混ぜられたいたそうです。 そして黒は油絵の具ではなく自らすった墨。自画像をよく見ると、墨をすっている硯も見えました。 この墨で人物などの輪郭を描くというのは、藤田が尊敬するというレオナルド・ダ・ビンチのスフマート画法とは対極にあるところですが、藤田の描く多くの女性たち、子供も含めほとんど皆眉毛がありませんでした。これって『モナリザ』へのオマージュでしょうか。晩年、フランス国籍を取得し、キリスト教になる時の洗礼名もレオナール(レオナルドのフランス語読み)でした。 作品には必ず署名を入れていましたが、パリで発表した作品には必ず「藤田」のスペルを「Foujita」としていました。これはフランス人たちに名前を正しく発音してもらうために、風月堂があやかったというパリの老舗カフェ『フーケ(Fouquet)』から取ったのかな。その後日本に帰国し戦争画を描いた時は、つまり日本人相手に描いた時は「Fujita」のスペルになっていました。 私が嬉しかったのは、多くの猫を描いていたこと。これには「本当に猫が好きだったのだろうな」と思いました。でも西洋画とはいえ、フジタの描く猫の顔は、日本の浮世絵そのものです。そういえば、フジタが生まれる少し前からパリでは浮世絵が大人気となり、空前の日本ブーム=『ジャポニズム』の風が吹き荒れていたのでした。 こちら国芳。 こうしたフランス(そもそも、尊敬するのはイタリアのダヴィンチながら、フランスを目指したのも、画家として成功するためにはイタリアではなくパリへ行かねば…と思ったのでしょう)でウケる(もとい、成功するw)ための様々な工夫をしていたと見受けられるフジタを、私はどうしても「あざとい」と思ってしまうのを否めません。それほど野心的だったのでしょうし、「パリまで行く」という行為自体、現在では想像もつかないほどの人生を賭けた一大決心だったのでしょうが、見方を変えればパリ芸術界に媚びているように見えなくもありません。実際、当時の日本芸術界からはずいぶん悪く言われたようでした。私としては、何も策を講じることなく、ひたすら情熱のままに書き続けたヴィンセント(ゴッホ)の方が、愛しく思えるのです…。 …とここまで書いて、ふと音楽界に思いを馳せ、かつてはエアロスミスも散々悪く言われていたのを思い出しましたw もともとアメリカでは人種対立そのままに、ロックvs. ディスコという図式がありました。その後ディスコはラップに移りましたが、音楽ジャンルの対立はそのままだった中、エアロスミスはランDMCと組んで『Walk This Way』をセルフカバーしたことで、再びシーンに蘇ったのでした。白人のラッパー、エミネムが出てきたのはそのずっと後のこと。エアロスミスはジャンルを超えて、画期的な人種融合的ミュージックを出したわけです。だからきっと、エミネムはそんなエアロスミスへの尊敬を込めてその後『Dream On』をカバーしたのでしょうね。 時代の要所要所で『Angel』や『Miss A thing』など、一般ウケするバラードもきちんと出す。そんな彼らのやり方は、多少なりともロック・ファンや同業者たちにさえ、「セルアウトした」とか、「ロックではない」などと言われたものでした。それでも、彼らはMTVを利用するために凝ったビデオクリップを作成したり、ゲーム界に参入したり、人気TV番組とコラボし、全米最大チェーンのスーパーマーケットと組み、いち早くVIPを実施し、ウェブサイトを開設し、メンバーによっては今や自らの手でSNS発信もし…と、常に時代に乗ってきました。見方によってはウケ狙いをしていると言えたでしょうが、齢70となっても続けているとなると、もはやこれらの動きは彼ら自身が大好きな音楽を続けるための、彼らなりの手段だったのだと、今は誰もが理解していることでしょう。 多くの名言を吐いているSTですが、その中でも私が特に好きなものに「If you stay there long enough, you’ll get a last laugh.」というものがあります。『とにかく続けていれば、最後に笑うのはオレだ!」という感じでしょうかw 私の座右の銘の一つですw …と、愛するエアロに重ねてみて、初めてフジタのことも理解出来た気がしましたw そう、フジタはダヴィンチに憧れ、とにかく西洋画家になりたかった。『西洋の絵を描く人』のみならず、『西洋の画家』になりたかったのです。そのためにはどうしたら良いか。パリでウケなくては生計を立てられない。ではウケる為にはどうしたら良いのか。またいくら西洋の画家になりたくても自分の日本人というアイデンティティは変えられない。それではどうそれを生かすか…?などなど。あらゆる手段を模索して、ひたすら工夫をして、大好きな絵を描き続ける人生を送るために努力をしたのでしょう。 61歳の時に描いた『私の夢』。まるで涅槃図のようですが、周囲の動物たちは哀しむのではなく、夢見る人を囲んで楽しそうです。フジタの動物に対する愛が溢れているようで、こんな風に動物を描くフジタの純粋な心が見えるようです。西洋の画家になりたいというひたすらの思いに突き動かされ、一見あざとく見える人生を歩みつつも、実は本国の同志に嫌われてかなり心を痛め、孤独に苛まれていたのかもしれません。 そんな彼の人生を、10代で絵を学んだ上野(現芸大出身なので)の地で、史上初の大回顧展として観ることが出来ます。明治時代に生まれ、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦と戦争に翻弄されつつも、自らを見失わずに生きるためひたすら努力をしたフジタ。作品を鑑賞しながら、彼の人生そのもの、一人の変わった男の生き方を味わえる、予想外に素晴らしいものでした。 東京都美術館:10/8まで。その後京都国立近代美術館:10/19~12/16。 http://foujita2018.jp そんな週の一本は、『追想』です。 クラシカルな顔立ちをしたシアーシャ・ローナンは、こうした時代の主人公にピッタリです。時は1962年。20代前半の二人が恋をして結婚。ハネムーンで豪華な海沿いのホテルにやってきて、ついに迎える最初の夜で、愛し合うが故に感情がすれ違い、結婚はわずか6時間で終わってしまいます。1960年代ならでは、また家柄の違いがはっきりとした英国ならでは、ということでしょうか。え?本当にこれで?と思って見守りますが、本当にそうだったらしいことが、いきなりTレックスの『20th Century Boy』のイントロで分かります。 『20th Century Boy』って60年代じゃないよね?と思いながら観ていると、時代は70年代になっていました。主人公たちは30代になっていたのです。こうした音楽の使い方、良いですよね~。いかにもイギリスな感じがそこかしこに現れていて、なんとも言えない品があるんですよね。Tレックスを使ってもw(Tレックス大好きですがw) その70年代のパートでも、心がギュっと掴まれるような切ない思いにかられるのですが、やがて場面は現代になります。そう、21世紀になって、主人公たちは70歳台になっているのです。この時の特殊メイクがまたスゴイ!男性の方は分かりましたが、女性はシアーシャとは知らなければ分からないレベルでした。 そして、映画を観た者には分かる伏線を一気にまとめるラストは、ひたすら切なく(男側が)、あまりに純粋で(男側が)、人は長く生きると最後は再び赤ちゃんに戻るように思いますが、その過程で、70代の二人が20代の感覚を取り戻したかのようでした。シアーシャ・ローナン主演ということで、昔を舞台にした青春映画だと思っていたら、邦題『追想』通り、70代も後半となった年老いた二人の切ない思い出ストーリーで、これはもっとそういった年代を対象に宣伝すれば、多くの共感が得られるのでは?なんて思いました。私もその年代で観ていたら涙が出たかな?なんて思ったけれど、いや、こんな思い出私にはなかったわww …とゆーことで、ついにジョー・ソロ、そしてイル・ディーヴォのツアーまであと1週間となりました。実はジョー・ソロVIPでは、まさかここまで任されるとは思っていなかったので、なかなか大変ですw 日頃イル・ディーヴォでほとんどの仕込みをして下さっているヴァスト・ミュージックさんに改めて感謝をしつつ、それでも何と言ってもジョー様のためなので、頑張ります!! それでは皆様、また来週!(とか言って、来週の週報アップは遅れそうです…)

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