8/28-9/3, 2017 祝眞子様ご婚約と『関ヶ原』その後、そして『夜明けの祈り』

なんて素晴らしい若者たちなのでしょう!先週、品の無い人々について嘆いたばかりでしたが、今週は打って変わり現代も捨てたものではないという気持ちで満たされております。週末、眞子様のご婚約内定記者会見がありました。 月と太陽だなんて❤️ ホント、記者会見を見ていて思わず「きゃあ!」と大喜びしてしまいましたww  こんなことで大喜びだなんて、これぞおばちゃん!とお思いでしょうかww  その通りなのですから反論はしませんが、久しぶりの吉報であることは誰もが認めるところですよね。なんだか日本の将来そんなに暗くないような気がしませんでしたか?   お二人ともドンピシャのミレニアル世代。デジタル・ネイティヴ世代とも言われ、物心ついた時からネットがあり、SNSなどを通じて、他人との共感を重視する意識が強いとされているのですが、よくぞここまで独自路線でしっかり丁寧にお育ちになられたことか。この時代に、自らを「わたくし」と呼ぶ若者たち。皇室って素晴らしいものだな、と改めて思ってしまいました。   「今の若者はなっていない」という言葉は、古代エジプトの遺跡にも彫られていると知って以来、私は年代で性格や傾向をどうこう言う気はありません。高校生にもしっかりした子はいつの世もいるし、残念ながらいくら経験を積んでも愚かな人もいます。それでも、その世代によって育つ社会の環境の違いから、かなり性格や行動に差が出ることは大いにあるわけです。今、渋谷で大騒ぎしている10代の子供達も、もし今が1940年であれば「お国のために」と自ら志願して戦争に参加したかもしれないし、1600年に命を賭けて関ヶ原で苦悩した小早川秀秋も、現代であればソシャゲに夢中になっていたかもしれないのですからww   先週観た『関ヶ原』で、あまりに分かっていないことが多いことを再認識し、未だ関ヶ原復習中ですww  小早川秀秋の関ヶ原当時の年齢が17歳、18歳、19歳と諸説あり、色々調べてみたのですがはっきりしないので、もうとにかく「10代だった」と言うことでここは先に進むことにして…ww   映画の中で一種異様な存在感のあった大谷吉継(役職名から大谷刑部(ぎょうぶ)とも呼ばれる)についても、感動を新たにしています。実は当初徳川家康と戦うのは形勢が厳しいと考えつつも、確固たる信念で石田三成を支える病の人大谷刑部。映画を観た直後に、日本史に詳しい友人から大感動する逸話を聞きました。大谷刑部がたぶんハンセン病であったこと。そして茶の湯の席で一つの器でお茶を回し飲みする時、刑部のあとは彼の病が移ると心配して誰もが飲む振りだけをして実際には飲まなかったところ、石田三成はぐいっとそのお茶を飲み干したのだとか。それに大感動した刑部が、一生三成についていこうと決心したという…良い話ですよね! そんな「人生意気に感ず」といった大谷刑部ですから、その部下にもまた良い逸話がありました。病の身ゆえ敗戦となっても馬で逃亡することが出来ない刑部は、その場で自害します。映画はここまでなのですが、その際に、家臣の湯浅五郎に介錯をさせ、敵に見つからないよう自分の首を地中に埋めるよう命じたのです。   しかし、それをした直後に、敵である藤堂高虎の重臣、藤堂高刑に見つかってしまいます。そこで五助は高刑に、自分の首を渡すから主君の首を埋めたことを黙っていてほしい、と願い出るのです。これを高刑は了承し、五助の首を取って引き上げました。後日、高刑は五助の首を取ったことを家康から褒められますが、刑部の側近である五助を討ち取ったのであれば、刑部の首のありかも知っているだろうと詰問されます。しかし高刑は五助と「刑部の首のありかは決して言わない」と約束をしたので言えないと白状しなかったのです。この態度に、家康は怒るどころか、その姿勢に深く感心しそれ以上は問い正さず、高刑に褒美を与えたそうです。 良い話ですよね〜。五助も立派だし、家康もさすがです。なんかこう、「くぅ〜〜〜〜」っとくるような粋さと言うか男意気と言うか、多くを語らずとも理解する男らしさですね。私の好きなギャング/マフィア物映画、または戦争物などによくあるシーンですが、やっぱり男の世界かな。あ、女性でも唯一あったのは『ソルト』のアンジェリーナ・ジョリー。いかにも『2』が出来そうな終わり方をしたので期待していたのですが、なかなか出そうもなくて残念です…。 『ゴッド・ファーザー』でヴィトーが長男を失った後、イタリアへ逃亡していた三男のマイケルをアメリカに呼び寄せようとする時に、ニューヨークの五大ファミリーのボス達を前に、淡々と言うシーンがありました。「わしは迷信深い。万が一息子が事故に遭ったり、警官に撃たれたり、あるいは首を吊ったり、雷に打たれたとしても、わしはここの誰かを憎む。その時は絶対に許さん」と。   絶対に息子に手出しをするなよ。偽装工作したって見破るからな。ということなのですが、そうはっきり言うよりよっぽど怖い。雷に打たれたってこっちが殺されるのかよ…と思うと無茶苦茶です。でも、これを言う前に、先に殺された長男の復讐は諦めると言っているのですから、これには誰もが納得でその場にいる全員が了解したのでした。そう、ここで全てを理解し、何も言い返さない方もさすがなのです。ああ、また『ゴッドファーザー』観たくなっちゃうな!   こうした「くぅ〜〜!」っとなるシーンはどうしても命がかかっているからこそと思いがちですが、そう言えば私自身にも思い出すたびに「くぅ〜〜!」っとなる経験がありました。   2012年、初めて日本の某プロモーターさん経由でVIPのお仕事をした時のことです。初めてのアーティストとの初めての全国ツアーで、現場には私のことを知らない関係者が山のようにいらっしゃいました。もちろん、直接関わる方々にはご挨拶をしているわけですが、そうではない方々の方が圧倒的に多い訳で、目が合えば会釈をしていましたが、ほとんどの方に「あいつ何しているのかな?」的に思われていたかもしれません。万が一関係者以外であれば追い出さなくてはならないのですから、それは当たり前のことでもあります。特に初日の私は、キョロキョロして怪しい動きをしていたかもしれません。   そんなところに、突然「あ〜け〜み〜!!!」と大声で私を呼ぶツアーマネージャーの声がバックステージに響き渡りました。そう、私の日本語名は朱美と言います。この業界で最初に入った日本の音楽出版社にいる時は周囲にこの名前で呼ばれており、このツアーマネージャー氏ともその頃お知り合いになったので、その後もずっとこう呼ばれていました。でもすぐに私はアメリカの会社に変わり、上司や同僚から「発音しにくい」と言うことで英語の名前がつけられたので、以来ずっと外人を含めた現場ではエイミーと呼ばれています。それが、突然大声で「あ〜け〜み〜!」ですから、私は「あ、ツアマネ氏だわ」とすぐに分かりましたが、周囲の人たちはなんだ?なんだ?となったようです。   大声で叫ばれたので、何か失敗でもしてしまったかしらと大慌てでツアマネ氏のところへ走って行くと、バックステージでも一番広いロビーのようなところに立ったツアマネ氏、「おお、いたか。ま、頑張れよ!」で終わりでしたw  私としては内心「なんだ、それだけなんだ」と安心しながら、お礼を言って終わりでしたが、その後です。周囲の空気が一変したことに気付いたのでした。   それまで会釈を返してくれただけだった方々が、「おはようございます!」「よろしくお願いします!」「何か必要なことがあればおっしゃって下さい」などと、私に声を掛けて下さったのです。ああ、そうか〜。あれはツアマネ氏なりの「こいつをよろしくな」だったのです。日本語名で呼ぶことで昔から私を知っていること、私が不審者ではないことを、私に「頑張れよ」と言ってくれたことで彼が気に掛けている人間だと言うことを、その場にいる全員に知らしめてくれたのでした。くぅ〜〜〜!!シビレちゃいますよね。これで私は一生彼のために頑張る!!!と思ったのでした。   そんなことを思い出し、『関ヶ原』や『ゴッドファーザー』をまた観たいと思いながらの今週の一本は『夜明けの祈り』です。 原題は英語にすると『The Innocences』。無垢、無罪、無知な人々…と言う意味になります。1945年、第二次世界大戦終結直後のポーランドにある女子修道院が舞台です。ドイツが敗れた直後に侵攻してきたロシア人に集団レイプをされた修道女たちが、次々に妊娠してしまう。それは修道院長にとって恥ずべきことであり、隠さなくては修道院の存続が危ぶまれる事態なのですが、どうしたら良いか分からないまま月日が経ってしまい、遂にフランス人女医に助けを求めると言う実話だそうです。なんということ。どこから書けば良いか…。   まずはロシア人の鬼畜ぶりです。終戦後(の捉え方が国によって違うところが悲劇の原因なのでしょうが)に侵攻するのは日本の北方領土と同じです。北方領土に修道院が無かったこと(たぶん)は幸いながら、似たようなことがなかったか、今更ながら気になりました。村の娘なら良いと言うわけでは決してありませんが、修道女をレイプするなんて、あまりに酷い行為です。   そして、これは決して第二次世界大戦に限ったことでも、ロシアやポーランドに限ったことでもないでしょう。これも明らかに戦争の一面であるわけで、犠牲者が出るのは決して戦場だけではないということ。どこまでも戦争とは恐ろしいことで、だから絶対に繰り返してはいけないのです。   あと短気はダメとか、独断より相談とか、勉強になりました。冷静になれば分かることも、絶望が視野を狭めてしまうのですね。以下ネタバレ注意です。   最終的にはフランス人の女医の機知に富んだアイデアで、この修道院を児童養護施設として、身寄りの無い子供達と共に、生まれた子供たちも修道女たちが育てていくというハッピーエンドな実話に心から安堵し感動しました。しかしそこから、もしかして世界各地にあるキリスト教の児童養護施設(修道女が子供の世話をしている)は、同じようなレイプ被害者が妊娠を機に修道女となり、そこで出産をして、我が子であることを隠して育てたということがあるのではないか…と思い、はっとさせられました。   まだまだ世の中は奥深いです。ずいぶんと辛いことがあったと思っている私でも、実は世の中のほんの表面だけでのうのうと生きている方なのかもしれません。久しぶりに女性のための女性の映画でした。もちろん監督も女性。ぜひ女性の皆様に観て頂きたい作品でした。  

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