Amy's This Week

2023.01

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2023.01.02

12/12-25, 2022 Luna Sea 黒服限定ライヴと、『ホイットニー・ヒューストン/ I Wanna Dance With Somebody』

ありきたりな言い方ですが、よく『師走は走る、二月は逃げる』と言われますね。それほど過ぎるのが早く感じると言うことでしょう。で私の師走も、大したことしていないのにほぼ走り去ってしまいました(^^; そこで奥の手。2週一気に書いちゃいます!

18(日)は『鎌倉殿の13人』の衝撃的な最終回。もちろん録画をセットして、私が足を運んだのは埼玉スーパーアリーナでした。そう、大好きなLuna Seaの黒服限定ギグだったのです。全身真っ黒で行くのは久しぶり〜。

その昔は、特に黒服限定とは言われなくてもLuna Seaライヴといえばスレイヴ(ファンのことです)は皆真っ黒でしたw それが徐々に自由な感じになり、私も白いダウンなんて着て行ったりして、バンドの成熟ぶりを感じたような気がしていました。

そんな風に昔は…なんて言いながらも、私はメジャーデビューして以降1992年からライヴを観るようになり、めちゃくちゃ好きになったと言えるのは1996年頃からなので、確かに長いかもしれませんが、その前はそれほど詳しくないのです。なので、この日のLunacyライヴには、これほどのインディーズからのスレイヴがいたのね!とそっちに大感動してしまいました。私達のお隣にいらしたお二人は「デモテープの曲だ!」と盛り上がっていました。凄過ぎる!

まあ知らない曲があっても全然良いのw 彼らがそこにいて、プレイしてくれているのをナマで聴けるなんてそれだけで至極の時。あと、コロナ禍最初の頃のライヴは入場者人数制限もあって席はスカスカ、ステージプロダクションもとてもシンプルなものだったのに、徐々に入場者数も増え、プロダクションも以前のように豪華になってきました。そんなところでもコロナ禍が出口に近づいていっていると感じられて感動でした。

で、この日のプロダクションも凄かった!ステージ上の中央にミラーボールに手が生えてニョキニョキ動くロボットみたいなのがあったんです!なんて言って良いのか分からないのだけど、分からないなりにそれが凄かったと事務所の◯◯さんにライヴ後ご連絡したら、何枚か写真を送って下さいました❤️ アリーナ内は撮影禁止だったので嬉しい!!

そんなわけで、送って頂いた写真をいくつか。まずはこれは空気入れ換えのための休憩時間でしょうか。単なるミラーボールに見えますが…。

周囲に手(?)を広げた状態でレーザーです。

いや〜、観たことない展開のライティングに驚きました〜。

これこれ。なんだこれ?なんかホント凄いんですけど。

なんか確かに中央にはミラーボールがあるようだし、その下にも発光体があるのかしら?

もう何がどうなっているのやらw

というわけで、なんだかアメイジングなライティングで(アメイジングって便利な単語ねw)、たっぷりとライヴを楽しむことが出来たのでした。あ〜、前にも書いたかもしれませんが、ホントライヴの無かったコロナ禍では、私はLuna Seaに救われていました。感謝の気持ちでいっぱいです。そして次回はいよいよ声出し解禁ライヴ。ああ、もうINORANのコーラス声は聴こえなくなってしまうわねw でもやっぱり声出しライヴはコロナを乗り越えた象徴になると思うので楽しみでしかありません。

ありがとう!Luna Sea! いえ、Lunacy❤️

考えてみれば、12月はエアロのライヴが観れずに終わってしまったので、私が観れたライヴはプリンス・トリビュートとLuna Seaだけでした。洋楽1本、邦楽1本。まあこれも、コロナ禍真っ最中であればあり得なかったのですから、これだけでも感謝です。

そして、翌週末にはなんとその歌声を聴いて自然に涙がこぼれるという、まるで映画『プリティ・ウーマン』的な体験(分かる人いるかしら?w)をしてしまったのがこちら。

 

今週の一本、『ホイットニー・ヒューストン/ I Wanna Dance With Somebody』です。

人間的にもこのギョーカイでのお仕事でも、まだまだ全く未熟だった私が、初めて個人的には好みでない音楽だったのに(失礼!)、お仕事で人となりを知り、大ファンになった人、それがホイットニーでした。本当にファン思いの、ファンにとって、とても素晴らしい人でした。

映画でも登場したアシスタントのロビンという方は、レコード会社や取材に来る媒体の人たちを対応していたので、かなり厳しいという声は私の耳に入っていました。が、私の仕事(VIP)ではファンとのミート&グリートの対応ということでパブリシスト女史が対応して下さっていたので、とても優しく親切でした。今でもその方とは仲良くしています。

ただ、これはどのアーティストにも言えることなのですが、厳しいスタッフさんがいるとすればそれはアーティストから厳しくしろと言われているから。優しいスタッフがいればアーティストから優しくしろと言われているからです。またもし言われていないとしても、厳しいスタッフをそのまま放置しているのはやはりアーティストがそのやり方に満足しているから。そして優しいスタッフに対しても、それを見聞きしているアーティストが満足しているからそのまま優しいのです。これは99%断言出来ることです。

もしもアーティストは優しくして欲しいのに厳しくし続けるスタッフがいたとしたら、いつの間にかそのスタッフは消えます。つまり、長く働いているスタッフであれば、厳しかろうと優しかろうと、それがそのアーティストの希望する働き方なのです。もし追っかけをしていてセキュリティーにシッシッ!ってあしらわれたらw それはアーティストの希望なのですから、それ以上しつこく追いかけない方が良いのですよww

でホイットニーに話を戻すと、マスコミ関係(プレス)には厳しく、ファンには優しく…というのが彼女のスタンスでした。ある時、アメリカのどこかの都市でライヴ前にバックステージでミーグリを待っていた時のことです。ホイットニーを連れたパブリ女史に呼ばれ、いざミーグリ会場へファンを連れて行こうとした時です。数人のマスコミが「約束の時間ですが」「インタビューが先では?」とホイットニーを囲んだのでした。

ファンを引き連れた私はもちろん、「先にミーグリ会場に行って待っています」と言おうとしたところ…ホイットニーが言いました。「ヘイ、私は別にインタビューをしないって言ってるわけじゃないのよ。でもファンが先。だってあの人達(ファンを指して)がお金を出してCDを買ってくれているから私は歌っていられるの。あなた達だってだから仕事が出来ているのよ。あなた達の中(マスコミを指して)にお金を出して私のCD買った人いる?あなたは?あなたは?…「You?」「You?」と一人ずつプレスの人たちを指差すホイットニー。何も答えられないプレスの人々。するとホイットニーは「でしょう?だからファンが先。待ってて!」

うわ〜!!!!心の中で私は叫びましたよ。ブラボー!!ホイットニー!!!最高かよ。こんな姿を目の前にしたら、ファンだって一生ついて行こうと思いますよね。本当に素晴らしい姿勢だと思いました。そして…だからマスコミには嫌われたんですけどね(^^;

今の時代ならあっという間にそんな様子がTwitterなどで広まって、マスコミの一方的なネガティヴ報道を凌駕するほどのファンの賛美が溢れたことでしょう。ちょっと時代が早過ぎて、ホイットニー、私はとっても残念ですよ。

個別のミーグリ後グループショットも撮り、プリントして一人一人に名前を入れて後日送ってくれたのでした。アナログ時代の素晴らしいやり方ですよね。一応私はスタッフだったんですけどねw まだ新米だったからか私にも送って下さったのでしたw 一生の思い出です!

確かにホイットニーが薬の問題を抱え、沼にハマり、そのせいで若くして亡くなってしまったことは事実でしょう。ですが、当然彼女の人生は薬だけではなく、もっともっと大きく占める素晴らしい部分があったのです。

ある時ワシントンDCでチャリティーコンサートがありました。今でこそ高額なチケットは珍しくありませんが、当時としては破格の1枚1,000ドル(VIPではなく通常チケ)でした。なぜなら利益はすべてチャリティーになるからです。会場は裕福な正装をしたオーディエンスで溢れ、私達スタッフにもデニム&TシャツはNo!というドレスコードがありました。そんな豪華なコンサートで…なんとバックステージのケータリング(食事)はKFCのバーレルがいくつか並んでいるだけだったのです!え?ケンタッキーだけ??と思いましたが、アーティストやスタッフの食事も経費となるので、少しでも経費を抑えてチャリティーにたくさん送ろうというホイットニーの考えからだったのです。

ニュージャージー州の貧しい地域出身の彼女ですが、母校の中学がホイットニー・ヒューストン・アカデミーという名前に変わっています。公立なのにです。今もあります。それはもちろん、彼女が莫大な寄付をしていたからでしょう。映画でも出てきますが、実の父親が湯水のように彼女が稼いだお金を使いまくっていました。それでも、ホイットニーはこうした地に足のついた善行を決して忘れずにいた人だったのです。

…とまあ、私が知っているめちゃくちゃわずかな範囲でも、彼女の素晴らしさが垣間見れました。そんな人だからこそ、聴く者に訴える歌声を響かせることが出来たのだと思います。映画の終盤で、それまでは難か過ぎる(とても息が続かない)とNoと言っていたメドレーをついに歌います。その時、ずっと「君なら大丈夫だ」と言っていた音楽ディレクターのリッキー・マイナーが、めちゃくちゃ嬉しそうに彼女の背中を見ながら演奏していたのが印象的で、その歌声を聴きながら気づけば私の頰に涙が流れていました。心の底から感動しました。ホイットニー、あなたは何もかも素晴らしい!!

ホイットニーに関して、私が唯一残念に思いながらもう諦めたことはただ一つ。当時私は常にカタカナ表記を「ウィットニー」としていました。だってそれが本来の音だから。「ホイッ」って日本人だけで、絶対変なのに〜!が、もう彼女が亡くなって10年も経ってしまい、日本人ファンが彼女に「ホイットニー!」と声掛けすることもあり得なくなったので、ギヴしましたw もういいやww

そんなわけで、大感動したこの作品。新年には必ずもう一度観に行こうと心に決めました。

 

で、クリスマスでしたね。私はイヴの日にクリスマス登山をしてきました♪ 頂上での楽しいおやつタイム❤️

下山後は、聖なる日にお金の神様という聖神社にお参り。ご利益よろしくお願い致します!